「整える」ことで、見えてきたもの
「整える」という言葉には、服を揃えるという意味だけじゃなく、
自分の気持ちや姿勢、時間の使い方まで“整えていく”という広がりがある。
この数ヶ月、「服を整える」というテーマで書き続けてきた。
白Tを選ぶこと、セットアップに挑戦すること、買ってよかったと思える一着に出会うこと。
そんな小さな選択のひとつひとつが、自分自身と向き合う時間になっていた。
服の話をしているつもりが、いつのまにか、
「自分って、どう在りたいんだろう?」と考えていた。
服を変えたら、自分も変わった?
もちろん、服を変えただけで人が劇的に変わるなんてことはない。
でも、「こういう服が似合うようになりたい」と思って選んだセットアップを着る日は、
自然と背筋が伸びるし、無意識に声のトーンも整っている気がする。
そんな日が少しずつ増えていくと、
服に引っ張られて、自分の“在り方”が整っていく感覚がある。
「おしゃれ」より「信頼感」へ
若いころは、「かっこいい」と言われたい気持ちが大きかった。
でも今は、「この人、ちゃんとしてそう」と思われることのほうが、しっくりくる。
それは服の話に限らず、
姿勢とか、言葉遣いとか、目線の合わせ方とか、そういうところも含めて。
服は、その人の“生き方”がにじみ出る場所なのかもしれない。
決めるのは、過去の自分じゃなく「今の自分」
クローゼットの奥にある服。
似合わなくなったわけじゃないけど、もう袖を通さなくなった服。
それらは、過去の自分が選んだ「そのときの正解」だった。
でも今の自分は、もう少し違うものを求めてる。
だから、“何を着るか”よりも、
「今の自分が、どう在りたいか」を軸にして服を選ぶようにした。
昔、先生が言っていた「内面は外見に出る!」
ふと思い出した。
学生時代、学校の先生が、ファッションについて熱く語っていたときのこと。
「内面は外見に出る!」
当時は「そんなもんかねぇ」と聞き流していた。
でも今なら、先生の言葉がよくわかる。
服を整えるというのは、結局のところ、
“自分の内側と向き合うこと”だったのだと思う。
あの一言、意外にもずっと心に残っていた。
生き方は、毎日の選択でできていく
朝、どの服に袖を通すか。
何を着て、どう過ごすか。
それだけで、特別な変化は起こらないかもしれない。
でもその小さな選択の積み重ねが、
「どんな自分でいたいか」を静かに形作ってくれる。
そして気づいたときには、
服だけでなく、暮らし方や人との関わり方まで、少しずつ整っている。
「整える」という習慣は、これからも続く
“整え”は、終わることのないプロセスだ。
服だけじゃなく、言葉、時間、空間、人間関係……。
だから、これで一区切りではあるけれど、
この整えの旅は、まだまだ続いていく。
「何を着るか」よりも、「どう在りたいか」。
その問いと一緒に、これからも選び、迷い、整えていこうと思う。
この場所で書き続けてきたこと自体が、
僕にとっての“整え”だったのかもしれない。