雨の日は、整えられない日?す

整えの哲学

お気に入りの白いレザーシューズがある。

つま先のフォルムも、革の質感も、歩いたときの音まで好きだ。
だけど、雨の日は絶対に履きたくない。
水滴がしみるのも嫌だし、濡れてヨレた靴を見ると、心までぐしゃっとなる。

だから、雨の日はニューバランスのゴアテックス一択。
これはこれで、大のお気に入り。
雨をしっかり弾いてくれるし、軽くて快適で、頼れる存在だ。
でも、「整える」とは、少し空気が違う気がしてしまう。
カッコいい。でも、“今日の気分を着ている”感じがしない。


セットアップも同じ。

お気に入りのリネンや、淡い色味のジャケットは、濡らしたくないから避ける。
結局、無難で機能的な服を選ぶことになる。
実用性はあるけれど、「今日は整った」とは思えない。


最近ようやく気づいた。

僕にとって“整える”って、ただ機能的に準備することじゃない。
「これが着たい」と思える気持ちと、
その服にふさわしい自分でいたい、という意識。
それが揃ったとき、僕は“整ってる”と感じる。

でも、雨の日は、そのバランスが崩れる。
着たかった服を諦めて、靴も濡れないものに変えて。
そして気づく。
「今日は、整えられなかったな」と。


でも、そういう日があるのも悪くないと思うようになった。

整えきれない日を、「整えないといけない日」にしないこと。
むしろ、「どうやって整えるか」を探してみる日。

お気に入りの靴下を履いてみるとか。
雨の日専用の“整えセットアップ”を作ってみるとか。
あるいは、あえて力を抜いて、
「整わない日を受け入れる整え」を選ぶとか。


雨の日の僕は、いつもより少しだけ気持ちが重たくて、

気持ちの芯が、どこかぼやけている。
それでも、整えることをやめない。
少しずつ、心を乾かしながら、また晴れの日を迎えにいく。

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