無地グレーのパンツが“普通”だった頃
ずっと、ユニクロのグレーの無地トランクスばかりを履いていた。
特に疑問もなかった。
下着なんて誰にも見えないし、どうでもいいと思っていた。
息子のパンツと間違えないように、全部グレーで揃えていた。
機能重視。快適ならそれでよかった。
整えるとか、気を配るとか、そういう対象ではなかった。
朝、つい手に取ってしまう“いつものやつ”。
それで十分だった。
アウトレットで見かけた、“ふつうじゃない”下着
ある日、妻と一緒に垂水のアウトレットモールに行った。
服を見て回っていたら、カラフルなボクサーパンツの並ぶショップの前で足が止まった。
青、赤、派手な柄。
「こんなの誰が履くんだろう」と思ったのに、不思議と目が離せなかった。
妻がひと言。「試しにひとつ、どう?」
値段はユニクロの4倍近い。
でもその日は、なぜか手に取ってレジに向かっていた。
見えないけど、ちゃんと着てるって感覚
翌朝、その派手なパンツを履いてみた。
誰に見せるわけでもないのに、不思議と“ちゃんとした感じ”があった。
上にシャツを羽織って、セットアップを着る。
いつもと何も変わらないはずなのに、
「今日は整ってる」って、どこかで自分が思ってるのがわかった。
整えって、“誰に見られるか”じゃないんだ
それから僕は、少しずつ下着にも気を配るようになった。
柄や色で遊んだり、肌ざわりで選んだり。
それは誰に見せるでもなく、自分の気分を整えるための“仕掛け”みたいなものだった。
整えるのは、表に出ている部分だけじゃない。
むしろ“誰にも見えない場所”をどう扱うかで、
その人の整え方がにじむのかもしれない。
見えないところを丁寧に扱うと、
見えるところの自分も、自然と整ってくる。
整えは、気づかれない場所から始まってる。